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東京地方裁判所 平成6年(ワ)6675号 判決

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

理由

【事実及び理由】

一  請求

被告は、原告に対し、金一五〇〇万円及びこれに対する平成六年四月一五日から支払いずみまで年六分の割合による金員を支払え。

二  事案の概要

本件は、破産者株式会社プランニング日本橋(以下「破産会社」という。)が、破産申立ての直前に、被告に支払った一五〇〇万円(以下「本件一五〇〇万円」という。)について、被告において、破産会社が既に事実上の倒産状態にあることを知りながら、又は、支払停止状態にあることを知りながら、被告の破産会社に対する債権の弁済を受けたもので、偏頗弁済行為であるとして、原告が否認権(故意否認)を行使し、その返還を求めた事案である。

これに対して、被告は、本件一五〇〇万円の支払いを受けた事実を否認し、これは破産会社の元の取引先(破産会社に対する発注元、財団法人日本郵便友の会協会、以下「友の会」という。)と被告との直接取引によって支払いを受けたものであると主張するとともに、予備的に、仮に、本件一五〇〇万円が破産会社から支払いを受けたものであるとしても、被告は破産債権者を害することを知らなかった、あるいは、否認権行使の要件たる有害性がないと主張して、原告の請求を争っている事案である。

三  当事者の主張

1  原告主張の請求原因は、別紙一記載のとおり(なお、三項二行目の次に「、及び、平成五年一月一五日、被告から任意整理の提案を受けたことにより支払停止の状態にあること」を加える。)である。

2  これに対する被告の主張は、以下のとおりである。

(一) 請求原因一の事実は認める。同二の事実は否認する。同三の事実のうち、破産会社が債務をかかえていた事実は認めるが、その余は否認ないし争う。 (二) 本件一五〇〇万円についての被告の主張は、詳細には別紙二のとおりであるが、要するに、本件一五〇〇万円は、破産会社が友の会から注文を受けた「手紙作文」一〇万冊について、破産会社と被告との間で納入契約(以下、「本件納入契約」という。)を締結して印刷を始めようとしたところ、破産会社から債務整理をするとの申し入れがあり、代金支払いに不安が生じたことから作業を中断していたが、破産会社から、「手紙作文の印刷は、被告が直接に受注し、代金も前払いで直接支払われることになった」との申し入れがあり、現実に友の会から本件一五〇〇万円が振込まれてきたので、被告において、本件納入契約は、友の会との直接の契約になったものと理解して、右の印刷作業を行い、被告から友の会に納入したものである、というにある。

(三) また、仮に、本件一五〇〇万円の支払いが、破産会社からなされたものであったとしても、

(1) 被告は、本件一五〇〇万円が、破産会社から支払われたものであることを認識しておらず、破産債権者を害する行為であることの認識がなかった。

(2) 本件一五〇〇万円の支払いは、既存の売掛債務の支払いではなく、その時点では、履行に応じるか否かを被告において自由に選択することのできる状態にあった本件納入契約に基づく代金の前払いであって、破産財団の減少行為でもなければ、偏頗行為でもない。したがって、否認権行使の要件たる有害性がない。なお、この点に関する被告の主張の詳細は、別紙三のとおりである。

3  右の被告の主張に対する原告の反論は、以下のとおりである。

(一) 破産会社と被告とは、かねてから深い取引関係にあったばかりでなく、代表者同士も個人的に親密な関係にあり、また、被告が破産会社の発行済株式の五分の一を有しているという関係にあったものである。

(二) 破産会社は、昭和六〇年代の初めごろから経営不振となり、バブル経済の崩壊に伴って売上が減少して苦境に陥ったため、被告から継続的に支援を仰ぐようになって、破産申立時には、被告の破産会社に対する債権額は、破産会社の債権額の約二分の一を占めるに至っていた。

(三) 被告は、破産会社に対する債権の回収に危機を覚え、破産会社の銀行取引印を取り上げて、破産会社の金融資産をほしいままに動かして自己の債権の弁済に充当した他、平成五年一月一五日には、被告代表者が債権者委員長となって破産会社を整理するという不正な任意整理を破産会社に押し付けてきた。

(四) 被告は、このような債権回収策の一部として、破産会社の友の会に対する売掛金を回収して被告に支払うことも要求し、破産会社代表者は、手紙作文の印刷代金が幾らであるかも知らないまま、本件一五〇〇万円を、既存の売掛金債務や借入金債務の弁済として振込んだものである。したがって、右弁済が、債権者平等の原則にもとる偏頗な弁済行為であることは明白である。

(五) 被告は、本件一五〇〇万円の支払いには、有害性がないと主張するが、仮に、本件一五〇〇万円が本件納入契約の前払いとして支払われたとしても、その支払いが、破産財団の財産減少行為であり、偏頗な弁済であることには変わりがない。

手紙作文の印刷代金が幾らであったかは、破産会社代表者も知らないが、仮に被告の主張するとおり、一六八〇万円であったとすれば、これは不当に高い金額であり、代金回収の名目で、既存の他の債権をも回収しようとしたに他ならない。

また、本件一五〇〇万円の支払いがなければ、本件納入契約は、双方未履行の契約となり、原告において、解除か履行かの選択をなし得たものである。破産法五九条の規定は、本件納入契約のごとき不正、不当な契約を排除し、破産財団の減少を防止することにある。本件一五〇〇万円の弁済は、右規定の趣旨を潜脱しする悪質な不当行為である。

四  争点

以上のとおり、本件の争点は、

1  本件納入契約は、友の会と被告との間の契約か、破産会社と被告との間の契約か

2  本件納入契約が、破産会社と被告との間の契約であったとした場合には、被告に、破産債権者を害することの認識がなかったといえるか。

3  また、本件一五〇〇万円の支払いについて、被告のいう「有害性」がなかったかどうか、仮にこれがなかったとした場合には、そのことが、原告の否認権の行使を妨げる理由になるかどうか

である。

五  争点に対する判断

1  判断の要旨

当裁判所は、証拠に照らし、本件納入契約は、破産会社と被告との間の契約であり、本件一五〇〇万円の支払いは、その代金の前払いとしてなされたと認められるところ、被告において、破産債権者の害することの認識がなかったとはいえないが、本件の場合、本件一五〇〇万円が支払われなければ、本件納入契約の目的物たる手紙作文が納入されない関係にあり、このような場合に、契約の目的を遂げるためになされた支払いは、破産会社の行為として相当性があり、また、破産財団にとって必ずしも不利益なものとはいえないので、破産管財人による否認の対象とはならないと判断する。

2  本件納入契約の当事者について

(一) 証拠によれば、以下の各事実を認めることができる。

(1) 破産会社は、平成四年五月二八日、友の会に対して、手紙作文一〇万冊の製作についての見積書(見積金額総計二九九二万九二二五円)を提出し、同日付けで、友の会と破産会社との間で、請負金額を右と同額とする手紙作文一〇万冊の製作の請負契約が成立した。

(2) 友の会は、平成五年二月四日、額面二九九二万九二二五円の小切手を、破産会社代表者に手交し、翌五日、右金額が破産会社に入金になった。

(3) 右入金の中から、平成五年二月四日付けで、本件一五〇〇万円が、友の会の名義で被告に振込送金された。

(4) 右送金は、破産会社の経理上は、被告に対する前払金とされている。

(5) 被告は、平成五年一月九日付けで、破産会社にあてて、手紙作文の印刷の見積書を提出している他、同年二月一一日から一七日にかけて作成された被告のカラー製版入稿受け付け台帳、分解台帳等には、手紙作文の受注先として、破産会社が記されている。

(二) 右各事実によれば、手紙作文の製作は、友の会から破産会社に発注されたものであり、その印刷についてのみ、破産会社から被告に発注されたものと認めることができる。

(三) 被告は、平成五年二月五日に、破産会社の弁護士から、電話で、「友の会と交渉した結果、手紙作文の印刷は、被告が友の会から直接受注することになった」との連絡があり、友の会からの振込入金もあったので、これにより、手紙作文の印刷は、友の会との直接契約となったと主張しているところ、被告の受注日誌や作業日報には受注先として友の会が記載されていること、被告から友の会あての注文承諾書や発注の礼状が存在することなど、被告の主張に沿うかのような証拠も存在する。

しかしながら、友の会が、被告を取引の相手方と認識していなかったことは、調査嘱託の結果からして明白であること(友の会は、平成五年二月一五日付けで行った「郵便友の会担当官の手引き」の印刷以外には、被告との直接取引はないと回答している。)、本件一五〇〇万円は、破産会社が友の会の名義を借用して被告あて振込んだものであること、平成五年二月以降にも、被告において、破産会社を受注先として認識している文書が存在すること等に照らすと、「破産申立直前の弁済を隠蔽するために工作した」という破産会社代表者の陳述の方が真実に沿うものと認められ、これに反する被告の主張は採用できない。

3  被告の善意について

(一) 証拠によれば、以下の各事実を認めることができる。

(1) 被告は、平成三年ごろから、破産会社に対して、資金援助や借入の保証をして、破産会社の経営を援助してきていたが、そのような援助にもかかわらず、平成四年九月ごろには、破産会社の経営が危殆に瀕するようになった。

(2) その後、平成五年一月には、破産会社を任意整理する話が出て、その一環として、破産会社の日産自動車株式会社に対する売掛金を、株式会社クリエィティブジャパンに譲渡する通知が出された。しかし、この債権譲渡については、破産会社が日産自動車から叱責されて、撤回せざるを得なくなった。

(3) また、被告は、右の債権譲渡に先立って、破産会社について任意整理が計画されている事実を破産会社を通じて知っていた。

(二) 被告は、本訴において、破産会社からの代金支払いに不安があったので、手紙作文の印刷については、代金の前払いを要求した、と主張している。

(三) 右の(一)の事実及び(二)の事情によれば、被告は、少なくとも平成五年一月末の段階で、破産会社の経営が立ち行かなくなっている事実を認識しており、そうである以上、破産会社から自己の債権の弁済を受けることが、後に破産会社が破産した際に、他の破産債権者を害することの認識がなかったということはできない。

(四) よって、被告の善意の主張は採用できない。

4  弁済の相当性について

(一) 被告は、本件一五〇〇万円の弁済については、有害性がないと主張する。この被告の主張は、破産会社の行為にして客観的には破産債権者を害するものであっても、その行為に相当性のあるものは否認の対象とならないとの主張であると理解される。

(二) 証拠によれば、以下の各事実を認めることができる。

(1) 破産会社は、平成五年二月四日、友の会から、持参人払の小切手で、手紙作文の製作代金二九九二万九二二五円の支払いを受け、これを換金して、同日中に、その中から本件一五〇〇万円を被告に振込送金するとともに、翌五日、友の会に対して、合計一〇九七万九二二五円(内訳は、前払金の返戻八〇〇万円、監修費一九七万九二二五円、賛助金一〇〇万円)を振込送金して支払った。

(2) その当時は、破産会社の経営は既に末期的状態であり、被告の関係だけで一億円を超える約束手形の満期が迫っている状況にあった。

(3) 手紙作文の製作は、当初の契約では、平成五年一月二〇日に納入される約定であったが、当初計画になかった監修後記及び全国協力者の氏名を記載することにしたため、納期に間に合わなくなり(この点は破産会社代表者の友の会に対する説明であるが、友の会ではこの説明を受け入れている。)、同年二月になって、ようやく印刷の段階に達したものである。

(4) そして、友の会では、右の破産会社代表者の説明を受け入れ、その懇請に応じて、当初の契約では、納品・検査後に支払うこととなっていた代金を、先払いで支払うこととした。

(5) 被告は、平成五年一月九日付けで、手紙作文の印刷について、代金額を一六八〇万円とする見積書を破産会社に提出している。

(6) 本件一五〇〇万円の支払いを受けたことにより、手紙作文の印刷・製本を開始し、平成五年三月二〇日から同年五月二六日にかけて、完成した手紙作文を、順次運送会社に委託して納入した。

この印刷・製本作業は、平成五年二月一一日ごろ開始され、少なくとも同年四月七日までの期間を要している。

(三) 以上の事実によれば、本件一五〇〇万円の支払いは、手紙作文の印刷代金の前払いとしてなされたものと推認される。

(四) ところで、破産会社が、破産前にした弁済であって、客観的には特定の債権者に対する弁済として偏頗弁済と認められ、計数的にも破産会社の責任財産の減少と認められるものであっても、それが破産会社の通常の業務に属する債務の支払いに充てられたものであり、その弁済によって破産会社の仕掛品が完成されて破産会社に利益が確保できるようなものについては、破産会社のした行為として相当性があり、否認の対象とはならないというべきである。

そして、本件一五〇〇万円については、正に右のような債務の弁済であって、否認の対象とはならないものといわなければならない。

5  原告の主張について

(一) 原告は、本件一五〇〇万円の弁済が否認されるべき理由として、平成四年九月以降、被告が破産会社に対する債権回収のため、破産会社の経理に関与し、破産会社の回収した売掛金から優先的に弁済を受けていたものであり、本件一五〇〇万円の弁済も、その一部であることを挙げている。

確かに、一般に、債務者の経営状態が悪化した場合に、大口債権者が債務者の経理に関与して自己の債権の回収を図ることがないとはいえず、そのことからすれば、破産会社と被告との関係についても、破産会社代表者やその妻の陳述が、あながち全面的に虚偽を述べているようにも思えない。

しかしながら、仮にそのような事実があったとしても、少なくとも本件一五〇〇万円に関する限り、前記認定事実のとおり、手紙作文の製作代金の支払い・本件一五〇〇万円の支払い・手紙作文の印刷の三者の間には密接な関連があり、本件一五〇〇万円の支払いがなければ印刷もないという関係があることは明らかである。したがって、本件一五〇〇万円の支払いを、被告が破産会社の経理に関与したことによって既存の債務(既に目的物が完成したものの代金や、運転資金のための資金等)の弁済を得たことと同一に論じることはできない。(破産会社代表者やその妻が、被告の債権回収行為に対して大きな不満を有していることは、その陳述書の記載からも窺えるところであるが、その不満と、本件一五〇〇万円の支払いとは、別個の問題であるというべきである。)

(二) 原告は、破産会社と被告との間の印刷代金が、不当に高額であると主張し、これは、被告が印刷代金に名を借りて他の債権の回収を図ったものであると主張する。

しかしながら、破産会社が、友の会に出した見積書の印刷代金は一七三〇万円であり、被告が破産会社に出した見積書の印刷代金は一六八〇万円であり、実際に破産会社から被告に支払われたのは一五〇〇万円である。そして、破産会社の友の会あての見積書には、各実費の他に、「制作管理費」として、実費分の一割が計上されていることからすると、右の一七三〇万円の印刷代金は、破産会社の利益を含まないものと理解される。そうすると、本件一五〇〇万円は、手紙作文の印刷代金として、不当に高額であるとは認めることができない。

(三) 原告は、破産会社は、平成五年一月一五日に被告から任意整理の提案を受けて以後、支払停止の状態にあったとも主張する。しかしながら、破産会社は、同月二九日に、被告に対して四五一万円余を支払っていること(甲九添付の売掛金台帳参照)、及び、特に本件一五〇〇万円については、これに対応する元請(友の会)からの入金があって支払われたものであることからすれば、本件一五〇〇万円の支払時に、破産会社が支払停止の状態にあったとは認められない。 (四) 原告は、本件一五〇〇万円の支払いがなければ、本件一五〇〇万円は破産財団に残り、友の会からの履行に代る損害賠償請求権と、本件納入契約解除に伴う被告の損害賠償請求権が、破産債権となるから、被告に対する支払いは、被告の有するわずかな額の損害賠償請求権に対する一〇パーセント程度の配当金で足りたものであるのに、本件一五〇〇万円が支払われたことにより、破産財団はその全額の損失を被り、被告は一五〇〇万円の利益を得ていると主張する。

確かに、本件一五〇〇万円が支払われないことにより、破産財団には本件一五〇〇万円が確保され、これに伴う破産債権の増加を考えても、破産債権者に対する配当率は増加する関係にある。しかしながら、破産財団の全体をみると、本件一五〇〇万円の支払いによって、破産財団は、友の会からの約三〇〇〇万円の損害賠償請求権の行使を免れて、差引き一〇〇〇万円以上の利益を確保している。これを、友の会からの支払いがなかった場合と比較すると、破産財団に利益であることは明らかである。

そうすると、友の会から請負代金の前払いを受けて破産会社の利益を確保するとともに、それに伴って、代金の一部を下請先に支払ったことは、必ずしも破産財団を害する行為ということはできないというべきである。(のみならず、仮に、友の会から代金の前払いのみを受けて手紙作文を納入しなければ、前払いを受けた破産会社は、詐欺的行為との批判を免れないと思われる。)

(五) 原告は、双方未履行の双務契約についての破産法五九条の規定は、本件納入契約のような不正・不当な契約を排除し、破産財団の減少を防止することにあると主張する。

原告の破産法五九条に関する主張の当否はともかく、以上に説示したとおり、本件納入契約は、必ずしも不正・不当な契約であるとは認められないし、被告による不当な回収行為が仮にあったとしても、それと本件一五〇〇万円の支払いとは、性質が異なるというべきである。そして、本件一五〇〇万円の支払いが破産財団に損害を与えているかどうかの点もさることながら、友の会から代金の支払いを受けながら、仕掛品の完成に向けての作業を続行せず、製品を納入しないで、後を損害賠償の請求に委ねることの不当性の方に、むしろ看過できない問題があると思われる。よって、この点においても、原告の主張には採用し難いものがあるといわなければならない。

六  結論

以上のとおりであって、原告の請求は理由がない。

(裁判官 松本清隆)

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